2012年10月12日金曜日

なんばーワン日記。(1515)



一日目の日程が終了しました。高成田享氏の基調講演に続き平田オリザ氏の一般報告が心に残った。平田オリザ氏のオリザは稲という意味で父親が宮澤賢治の作品から命名したそうだ。講演の最初にその宮澤賢治の言葉を紹介する。「職業芸術家は一度滅びねばならぬ

誰びともみな芸術家たる感受をなせ

個性の優れたる方面に於いて各々やむ無き表現をなせ

しかもその時々の芸術家である」。この言葉の意味をオリザ氏は単なる第一次産業の農業から脱皮して付加価値を着けた地産地消の農業を推進することと解説する。宮澤賢治の言葉の引用は東北、被災地が真に自立するためにはそこに暮らす民がひとりひとり芸術家となって感性を磨き、地域の付加価値を高めていく以外にないといっているそうだ。しかし頭ではわかっていてもそれができる人がいない。要は人材教育が必要である。東北地方は徳川幕府いらい、やませがあり、稲作が向いていないにもかかわらず、中央から押...し付けられて収奪を受けてきた歴史がある。仮にこの押し付けの稲作ではなく、牧畜業を振興していれば、今ごろ日本のデンマークになっている可能性があったそうだ。また東北は常に中央に人を供給してきた。日清戦争の徴兵であり、満蒙開拓団の先兵として高度日本成長時の出稼ぎとし、日本の中央に人を供給してきた。そしてこれからの東北の復興には東北に人が帰ってくる政治と教育が必要である。平田オリザ氏はそのことを見据えて郷土に誇りを持って巣だっていく「創造型復興教育」に取り組んでいるそうだ。創造型復興教育とは被災地の子ども達の心のケアから始まり、豊かな創造力を育むために、音楽、美術、演劇等のワークショップの他に、食育、防災、防犯など、双方向型、参加型など多彩なプログラムを持つ教育の総称で、コミュニケーション能力を高める効果がある。

話しはかわって東北の高台移転ひとつとっても地域の合意形成ができない課題がある。しかしながら、虎舞や地域のお祭りのコミュニティが復活した街の復興と再生は早いそうだ。最後にオリザ氏は更に宮澤賢治氏の言葉を引用する。「曾つて我らの師父たちは乏しいながらかせい楽しく生きていた

そこには芸術も宗教もあった

いまわれらにはただ労働が生存があるばかりである

宗教は疲れて近代科学に置換され然も科学は冷たく暗い」と締めくくった。この言葉の意味は宗教や地縁の繋がりが薄くなった今は何を持ってつながっていくのか?近代科学だけでは冷たく暗いという意味に取れる。この解決に平田オリザ氏は創造型復興教育の実践を説き私は大いに賛同した。また人間の復興を目指す公明党の被災地に復興本部設置することの重要性を痛感させられた次第です。




2 件のコメント :

  1. 東北地方の農村・漁業の方は風評被害に苦しんでいるそうですね。
    新聞でも東北産の葱を別の産地と偽って販売したとか。
    こういうときこそ日本が一体となって助け合いするべきではないでしょうか。

    返信削除
  2. 今日伝言を聞きました。なかなか更新しなくてすみません。いつもコメント有難うございます!東北支援を持続してやることが大事ですね。また頑張ります!

    返信削除